複写機10

電子写真技術の発明の経緯について、書く。時は1930年代のニューヨークである。今からざっと100年前である。

===ゼロックスとともに ジョン・H・デサウアー 田中融二訳 からの引用(意訳)===
電子写真技術の発明者の名は、チェスター(チェット)・F・カールソン。1906年アメリカ合衆国シアトル生まれ。勉強、仕事、父親の看護という生活を4年間続け、物理学の学士を取得してカリフォルニア工科大学を卒業した。不景気のなか、ニューヨークのP・R・マロリー社の特許部に就職。さらにニューヨークの法律学校の夜間コースに入学している。

さて、マロリー社での特許申請にも、また夜間コースでの勉学にも、コピーの必要性を痛感し、ありとあらゆる複写技術の文献を読み、簡単な複写の方法を模索し始めた。そして光電導を用いる、電子写真(と彼が命名した)技術を思いついた。光学的露出によってコピーすべきものの静電気的イメージ・パターンをとり、それに粉末を付着させ、そうしてできた像を紙の上に転写する方法である。

小さなアパートの台所で実験を開始し、のちに結婚してからも台所での実験は続く。実験での小さな事故などもあったため、実験場所を移動。ロングアイランドのアストリアにある美容院の裏の空き部屋で実験するようになった。研究を開始して3年経って、最初の「電子写真法」の特許を申請できるところまでいった。(1937年31歳)
===引用ここまで===

このように、仕事や勉強で複写機の必要性を痛感して複写技術を勉強し、3年かけて実験を繰り返しながら電子写真法を発明したのであるが、これは特許を出願するまでであって、まだ実際に実験に成功したわけではなかった。彼は自腹で人を雇って実験を行い、ついに実験を成功させる。それはさらに1年後のことである。

===ゼロックスとともに ジョン・H・デサウアー 田中融二訳 からの引用(意訳)===
1938年10月22日表面に硫黄を塗った金属板を綿布で強くこすり、文字(10-22-38 Astoria.)を書きつけたガラス板を重ね、光を当てた。2,3秒後に金属板にライコポジウムという植物性の粉末を振りかけ、そして余分な粉を吹き落とした。すると、ぼんやりしているが、文字が現れた。そしてワックスを塗った紙をその金属板に押し付け、しばらくしてその紙をはがすと、紙に文字のコピーができていた。
===引用ここまで===

仕事や夜間学校に通いながら、4年かけて原理的な実験を成功させたのである。ものすごい執念であるが、しかし成功したといっても、手作業で得られた、ぼやけた文字の像である。この技術を製品化するには、企業の力が必要である。それから6年間、IBM、RCAなど様々な会社へのアプローチを試みたが、進展はなかったのである。6年間も、である。。