複写機という奇跡、という文章を書いていくのですが、これは要するに、複写機のベースとなっている電子写真という技術の実用化が非常に大変だった、製品化まで行かなかった可能性が少なからずあった、ということを伝えたいという思いで書いている。私は1986年に精密機器メーカーに入社して複写機の開発部門に配属され、発明から50年経った電子写真技術の開発に十数年間携わった。開発を離れてから25年も経ったが、トナーや感光ドラムをこの手で触ってきた経験から何かしらその感触を伝えることができるのではないかと思う。
私は、大学の先輩から休暇が多くて給料も悪くないよ、と勧められてこの会社に入社した。カメラとか複写機とかを作っている会社である。私は大学で物理専攻だったせいか、複写機の物理設計という部署に配属された。まず最初は販売会社で3ヵ月の営業研修である。都内の営業所に配属され複写機の訪問販売を行った。担当した地域のオフィスというオフィスのインターフォンを鳴らし、複写機のご紹介に伺いました、新人なんです、を繰り返すのだ。もちろん簡単に売れるわけないので、なかなかきつい研修である。販売会社は完全に体育会系の職場で、オフィスに入るときは大声で、ただいま帰りましたー!!の世界だ。
そして研修が終わり、複写機の開発部門に出社である。初日オフィスの扉をあけ、営業研修で培った声量でおはようございまーす!!とやると、誰も返事をしない。朝の体操の音楽がなっても誰も体操をしない。営業の現場とは違ったどんよりとした空気が漂っている。みな作業服を着ているが、よくみると黒く汚れている人がちらほら、中には、真っ黒と言ってもいいようなものすごい汚れの人もいた。トナーまみれの開発生活のスタートである。
ところで複写機はオフィスにはだいたいあるので、紙詰まりなどのトラブルでカバーを開けてみたことがある方も多いと思う。とはいえ、その中身は少々薄汚れた部品が詰まっていて、ここをを紙が通るんだな、ぐらいしかわからないのではないかと思う。
複写機は、電子写真技術と呼ばれる方法で原稿を紙に複写する。この電子写真技術は、カールソンプロセスとも呼ばれ、チェスター・F・カールソンが発明したものである。現在、オフィスにある複写機は、90年前にカールソンが発明した方式を今なお用いている。
この電子写真技術を簡単に説明する。まず感光体を一様に帯電させておく。感光体は、光を当てると電気的性質が変わる性質がある。帯電している感光体に複写したい原稿を反射した光を当てる。そうすると感光体に原稿に対応した帯電模様ができるわけである。これにトナーを擦り付けて感光体上にトナー像を作る。今度はこのトナー像を紙に転写して、最後に熱でトナー像を溶かして紙に定着させる。複写機はこんな仕組みで、紙に原稿をコピーするのである。
これらのプロセスはそれぞれ、帯電、露光、現像、転写、定着と呼ばれる。それぞれの動作は上に書いた通りなのだが、トナーを擦り付ける?どうやって?と突っ込みどころ満載である。このプロセスは90年前にカールソンが思いついたアイデアそのもので、いまだに用いられている素晴らしい方式なのだが、そう簡単ではない技術であった。
私が最初に担当したのは、複写機の中の最後の工程、定着プロセスだった。紙にトナーが乗った状態で定着器に搬送され、そして熱で紙に定着させる工程だ。様々なやっかいなプロセスを経てたどり着いた最後の工程。熱せられた2本のローラに紙を通すだけである。しかしトナーはなかなか言うことを聞かない。紙にちゃんと定着しないことがある。ちょっと擦るとはがれてしまう。あるいは紙に定着せずにローラに付着することもある。そしてローラについたトナーが次の回転で紙につく。そうすると、ローラ周期の模様が紙についたりする。なので、定着ローラはトナーが付きにくい材質にする必要がある。しかも熱には強くなくてはならない。このように定着ローラの材質の検討が永遠に続く。そして、もう一つ非常に大事な要素が耐久性である。何万枚も定着しても、上で述べたようなトラブルがでないような耐久性が求められる。しかもいろいろな環境、つまり高温多湿、低温環境、そしていろんな紙で。
もう少し詳しく述べると、材質のいいローラであってもなかなか性能や耐久性を満たすことが難しいことがある。その場合、ローラにオイルを塗布することによって、性能や耐久性を向上することができる。オイル塗布装置をローラにつけるわけである。オイル塗布装置はオイルを適量、長期間に渡って同じような量を均一に塗布することが期待される。私は入社して最初の仕事はこのオイル塗布装置の改良の仕事だった。もちろんチームに入ってやるので、数人でいろいろアイデアを出して、いい方法を見つける。かなり奇抜なアイデアであっても実験してみて検討する。
有望なアイデアが出たら、それを実験する。そして可能性がありそうであれば、耐久試験を行う。何万枚もコピー動作を行い、効果や弊害を確認する。そして更に可能性があるのであれば、環境を変えて耐久試験を行う。例えば高温高湿な環境で何万枚もコピーを行う。ここまで問題がなければ、今度は条件を変えて同じことを行う。条件というのは、例えばオイル塗布装置の当て方を少し変えるとかそういうことである。当て方を強、普通、弱の3種類を高温高湿環境で5万枚流してみよう、となるわけである。数万枚コピーをとるためには、紙を補充しなければならない。例えば20分に一回紙を補充する。そのたびに高温高湿の環境試験室に入る。紙詰まりなどがあれば、それを解消する。汗だくだくである。結果は来週頭に必要だ。毎日11時まで耐久試験をやって、土日もやってやっと間に合う。100時間を超える残業時間。。20数年前はそういう世界であった。今はどうだろう。。
帯電、露光、現像、転写、定着という順序で、複写プロセスが進んでいくのだが、最初に定着を説明したので、その前段階の転写について書く。
定着は紙に乗っているトナーを熱で定着させる工程だが、転写は感光ドラムからトナーを紙に転写する工程である。例えば、静電気を帯びた下敷きに粉が付いていることを想像してみよう。この粉を紙に移したいので、接触させてみる。たぶん全然移らないだろう。じゃあ、紙も帯電させてみよう。うまく帯電させると移るかもしれない。しかし、転写すべきトナー像はその像を乱してはいけないのだ。このような想像でかなり難しそうなことがわかる。そして、紙を帯電させると、その紙が下敷きにくっついてしまうだろう。それをはがすことも必要となってくる。
実際の複写機では、感光ドラムに形作られたトナー像と紙を接触させるとともに、紙の裏をコロナ放電などで帯電させ、そして更に紙をドラムからはがすための電気的工夫をしている場合もある。少なくとも、この転写工程における帯電条件は非常にシビアである。コロナ放電の強さやコロナ放電ユニットの位置関係など最適化することが必要である。またこの転写工程にコロナ放電を用いず、ローラだったり、ベルトなどを使用する場合もある。いずれもメリットデメリットがあるのだが、やはり様々な条件の最適化を行い、定着工程でも述べたような耐久性、耐環境性を満たすことが必要となる。
定着、転写と遡って、次は現像である。「現像」というと銀塩写真の化学的処理で像をフィルムや印画紙に浮かび上がらせる工程を思い浮かべるが、複写機の場合の現像は、感光ドラムに形成された電気的な像(潜像という)にトナーを付着させる工程をいう。感光ドラム上の電気的なイメージにトナーをどうやって付着させるか。これはいくつかの方式があるが、多用されているのが、磁性体の粉にトナーをまぶして、これらをマグネットローラ(現像ローラ)に塗布して、感光ドラムに接触させる方法である。黒いトナーの場合は、磁性体の粉を用いず、トナー自体に磁性体を含ませる方法もあるし、全く磁性体を用いず、トナーの帯電を利用してローラにトナーを塗布させて現像する方法もある。
ともかく、帯電したトナーを電気的な潜像に接触あるいは近接させて、トナーを潜像に付着させるわけだが、やはりこれもそう簡単にはいかない。感光ドラムと現像ローラの間に電界をかけてトナーを行き来させ現像させることが多い。トナーを帯電させ、現像ローラに塗布し、潜像と対面させて、電界によって(あるいは電界と磁界のバランスによって)潜像にトナーを現像する。現像工程は、このようにトナーの帯電、現像ローラ上への塗布、最適な電界の形成、など検討するパラメータは多い。
さて現像の前工程は、潜像形成そしてその前が帯電である。これらの工程は、要は感光体(光が当たると抵抗が変わる)を一様に帯電して、そこにコピーする原稿の反射光を当てると原稿に応じた帯電模様ができるということである。一様な帯電はコロナ放電を与えればよく、反射光はライン状の光源とミラーで構成すればよい。もちろん最近はラインスキャナーで読み取ったデータを信号処理して、レーザーやLEDで照射している。
潜像(帯電模様)は、画質に大きな影響を及ぼす。大雑把に言って、原稿の黒いところと白いところの電位差が潜像である。黒いところには、トナーが付いて欲しいし、白いところにはトナーがついてはならない。トナーは現像工程で付くわけだが、潜像の電位差と現像工程での電界によって、トナーの付着特性は変わる。更に、原稿の細かさに対応してちゃんと帯電模様ができているかどうか、によりコピーの精鋭度が変わってくる。デジタル潜像であれば、原稿に対応してどんな潜像を形成するか、例えば大きなドットで潜像を形成すれば、ノイズに対しては強く均質性は向上するが、先鋭度は落ちてしまう。潜像のでき方は感光体の特性にも大きく関わり、感光体の特性や信号処理が画質に大きく影響を与える。
それからこの工程の前にクリーニングという大事な工程がある。感光体にブレードなどを密着させて、転写残のトナーなどをクリーニングする工程である。クリーニング不良が発生するとコピー用紙を汚してしまう。
ここまでが、複写機プロセスの大まかな流れである。
ざっと複写機の仕組みについて書いてきた。私は1986年に複写機開発の仕事に配属され、製品開発に携わった。このころは、既に複写機はオフィスなどに普及していて、更にカラー複写機や小型コピー機などの新しい複写機が世に出始めていた。TVコマーシャルでこれらの製品のCMが華やかに流れていて、まあ複写機全盛期と言ってもいい時代だった。
私は10年ちょっと複写機の技術開発を行ってきたが、とにかく実感していたのは、なんとも動作が不安定なことである。トナーの帯電が静電気によるものだったり、いろんな紙が存在したり、あるいは気温や湿度によって紙やトナーの特性が大きく変化したりすることが主因である。よくもまあ製品化できているなあ、というのが実感である。しかし、これはこの技術の誕生から50年も経て複写機が普及しているときの感想なのである。いったい発明当初はどんなことになっていたのか。
ということで、電子写真技術の誕生について、書いていく。内容は、すべて「ゼロックスとともに」 (ジョン・H・デサウアー 田中融二訳)からの引用である。
電子写真技術の発明の経緯について、書く。時は1930年代のニューヨークである。今からざっと100年前である。
===ゼロックスとともに ジョン・H・デサウアー 田中融二訳 からの引用(意訳)===
電子写真技術の発明者の名は、チェスター(チェット)・F・カールソン。1906年アメリカ合衆国シアトル生まれ。勉強、仕事、父親の看護という生活を4年間続け、物理学の学士を取得してカリフォルニア工科大学を卒業した。不景気のなか、ニューヨークのP・R・マロリー社の特許部に就職。さらにニューヨークの法律学校の夜間コースに入学している。さて、マロリー社での特許申請にも、また夜間コースでの勉学にも、コピーの必要性を痛感し、ありとあらゆる複写技術の文献を読み、簡単な複写の方法を模索し始めた。そして光電導を用いる、電子写真(と彼が命名した)技術を思いついた。光学的露出によってコピーすべきものの静電気的イメージ・パターンをとり、それに粉末を付着させ、そうしてできた像を紙の上に転写する方法である。
小さなアパートの台所で実験を開始し、のちに結婚してからも台所での実験は続く。実験での小さな事故などもあったため、実験場所を移動。ロングアイランドのアストリアにある美容院の裏の空き部屋で実験するようになった。研究を開始して3年経って、最初の「電子写真法」の特許を申請できるところまでいった。(1937年31歳)
===引用ここまで===
このように、仕事や勉強で複写機の必要性を痛感して複写技術を勉強し、3年かけて実験を繰り返しながら電子写真法を発明したのであるが、これは特許を出願するまでであって、まだ実際に実験に成功したわけではなかった。彼は自腹で人を雇って実験を行い、ついに実験を成功させる。それはさらに1年後のことである。
===ゼロックスとともに ジョン・H・デサウアー 田中融二訳 からの引用(意訳)===
1938年10月22日表面に硫黄を塗った金属板を綿布で強くこすり、文字(10-22-38 Astoria.)を書きつけたガラス板を重ね、光を当てた。2,3秒後に金属板にライコポジウムという植物性の粉末を振りかけ、そして余分な粉を吹き落とした。すると、ぼんやりしているが、文字が現れた。そしてワックスを塗った紙をその金属板に押し付け、しばらくしてその紙をはがすと、紙に文字のコピーができていた。
===引用ここまで===
仕事や夜間学校に通いながら、4年かけて原理的な実験を成功させたのである。ものすごい執念であるが、しかし成功したといっても、手作業で得られた、ぼやけた文字の像である。この技術を製品化するには、企業の力が必要である。それから6年間、IBM、RCAなど様々な会社へのアプローチを試みたが、進展はなかったのである。6年間も、である。。